音楽は言語を越える!エチオピアのバー事情。

音楽は言語を越える!エチオピアのバー事情。

昨夜、少し面白い体験をしたので、忘れないうちに記事にしてしまおうと思います。

テーマは、エチオピアのバー事情ですね。

音デカくねぇ!?

普段、あまり、飲み歩かない僕ですが、昨夜は、スイス在住のエチオピア人の友人、ケベ君がスイスに帰国する前夜ということもあって、彼の誘いに乗っかって軽い気持ちで、出かけました。

現在の住まいから徒歩15分くらいの『Champion Lounge』で、既に友人と飲み始めていたケベ君に合流したのが、午後11時前でした。

基本的にお酒もお酒の席も大好きな僕が、エチオピアで飲み歩かない理由は、どこに行ってもとにかく音楽がうるさい。

1時間もいたら外に出て耳が聴こえにくくなってるぐらい音楽がうるさいんですよ。

そんなところで、当然会話などできないわけで、何のためにあんなうるさいところに好き好んで行くのか理解できなかったわけです。

音を楽しむ!それが、音楽!!

案の定、『Champion Lounge』も騒音レベルの猛烈な音楽がかかっていました。

『ハァー、、やっぱりね。』

うるさくって会話もできない、きた意味ないじゃんなんて思っていましたが、ケベ君はすごく嬉しそうにしてました。

かといって騒音の中なので、会話をするわけでもないんですよ。

ただ、ビールを飲む、そして、音楽のリズムに乗って体を揺らす。

正直、つまんねぇなんて感じ始めたのは、バーに入って30分がすぎた頃でした。

きっと当分帰らないんだろうなぁーなんて感じていましたが、そこは日本人のお付き合い精神を貫き通しました。

0時を回ったあたりで、みんな席を立って踊り出す。

深夜0時すぎ大音量の音楽でダンスするケベ君とソロモン君

みんな笑顔が弾けています。

ダンス自体もみんな思い思いに踊っているという感じ、ダンスなんかできない僕も、ケベ君に誘われて照れつつ、踊る。

これが意外と楽しくなってくるわけです。

酒が入っていたのもありますが、ダンスをしながら気づいたわけです。

エチオピアには、エチオピアの飲み文化があるんだなと。

日本では、飲みながら会話を楽しむわけですが、ここ、エチオピアでは、飲みながら音楽を楽しんでダンスをする。

大事なのは同じ時間を共有すること。

そんなことを感じた夜でした。

やっぱり、何事も郷に入っては郷に従えってことですね。

エチオピアの夜は長い

うるさいバーを敬遠してこれまで、あまり出歩かなかった僕ですが、エチオピアの夜はすごく長いです。

特に金曜、土曜は、結構朝方5時6時まで普通に飲んでいたりする人も多いんですよね。

うるさいバーを1時半頃にあとにして、さぁ帰ろうって感じかと思ったら、ケベ君がラスベガスに行こうと言いだしました。

エチオピアのラスベガス

酔っ払ってるし、比喩的な意味で言っているのかと思ったら本当に、アディスアベバにラスベガスと呼ばれているところがあったんですよ。

深夜1時半を回っているのに、通りには立ちんぼの娼婦がたくさん。。

どこの国に行ってもやっぱり娼婦はいるんですね。

誰かが言っていましたが、娼婦というのは人類の歴史で最古の職業の1つだとか。

話が脱線しましたが、そんな立ちんぼ娼婦に絡まれつつ、アディスのラスベガスへ。

何となく、その名前から想像はしていましたが、やっぱり、ケベ君の目指していたラスベガスは娼婦の集ういわゆる赤線みたいな場所でした。

小さな場末のバーみたいなのがたくさん並んでいる場所で、深夜2時近くでも人、人、人。

前職でインドネシアに駐在していた時にも、ディープな赤線街みたいなものが21世紀に存在している現実に直面していましたが、エチオピアのベガスは少し様子が違いました。

どちらかというと、日本のキャバクラ的な感覚で、娼婦と思われる人たちが、男性客にビールを要求しています。

で、やっぱりここでも大音量の音楽。

ほとんどアル中なのではと思われる娼婦の方々と酔っ払いの男性客、まるで動物園のように野性味あるれる感じ。

3時半頃まで、ベガスで呑んだくれてましたが、さすがに体力の限界が来て、ケベ君を残し帰宅。

こう言った赤線街ってのは、やっぱり少し抵抗がありますが、これもエチオピアの現実かと多くを学んだ一夜でした。

貧困や決して恵まれた環境とは言えない現在のエチオピアでも、笑顔を絶やさないエチオピア人に対してやっぱりリスペクトとともに改めてエチオピアが好きだなと感じる興味深い体験をすることができました。

ケベ君ありがとう。

ちなみにケベ君はこの後5時過ぎまで、エチオピアのラスベガスで呑んだくれていたそうな。